校長贅言2-3 「世界」は狭い? それとも広い?
5月下旬、オーストラリア外務・貿易省からの招待を受け、大阪・関西万博オーストラリアパビリオンに行く機会がありました。パビリオン内で催された「オーストラリア教育機関との交流会」に参加させていただいたのですが、そこで、以前から親交のある大阪の高校の先生と偶然にもお会いすることができました。なかなかお会いする機会のない先生に、万博のパビリオン内でお会いするという奇遇を喜ぶところから当日の交流会がスタートしました。
新たに出会う多くのオーストラリア・日本両国の教育関係者の方々と様々な話をし、濃密な時間を過ごすことができたのですが、その中に、これまで面会できずにいたグリフィス大学の入学担当者がいらっしゃったことに驚きました。彼とは3月初旬に会うはずだったのですが、サイクロンに訪問を阻まれ、結局メールのやり取りをしたのみでこれまで一度もお会いする機会がありませんでした。会場内で偶然それぞれが近くに移動したために自己紹介をし、お互いネームホルダーの名前を見てビックリ!
まさかオーストラリアで会えなかった人と、しかも普段行くことのない大阪でお会いできるとは考えてもいませんでした。お互いに初対面を喜び、情報交換をすることができました。
様々な方との初対面があった交流会の一週間後、その交流会でお会いしたサザンクロス大学の新木先生が、わざわざ本校を訪ねてくださいました。交流会では時間が足りずに、大学での授業料等の細かい話ができなかったのですが、東洋高校でお話をする機会をいただき、授業料の話(サザンクロス大学の授業料は、オーストラリア都市部の大学の約半分だそうです)や留学生の話、大学のロケーションの話などをしながら、サザンクロス大学への入学を希望する東洋生のために様々な便宜を図ってくださるという約束をしてくださいました。
さらには現在社会問題となっている日本米がオーストラリア国内でも食べられるようになったのには、一人の日本人の血の滲むような苦労があったというお話(その詳細が描かれている『穣の一粒』という本をいただきました)、トランプ大統領の「留学生受け入れ停止措置」を踏まえた、今後のオーストラリアでの留学生受け入れに関するお話などをお聞きする中で、現在新木先生のお母さまが住んでいらっしゃるのが、私の家の最寄り駅周辺であるということを知りました。オーストラリアに住んでいる方と大阪で出会い、まさかその方から東京近郊の、私が毎日使っている最寄り駅の名前が出てくるとは夢にも思いませんでした。
また、同日、ニュージーランドのリンカーン大学からも来客がありました。これから本格的な冬に突入するニュージーランド南島からの来校してくれた旧知のパトリックは、当日の東京の気温をとても暑がっていました。飛行機という移動手段によって一日のうちに冬と夏とを経験できてしまうということを考えると、広い世界も時間的には狭く感じられてしまう現代、肌で感じ、身体で納得する距離感はどこかに置き去りにされてしまっているようにも思えます。
リンカーン大学からは、東洋高校が独自に考えたスタディツアーをリンカーン大学で実施してみないかという提案をいただきました。具体的なことはお伝えできないのですが、円安でなかなか海外へ踏み出すことのできない現在、他国で実施されている様々なものと比較してみてもかなり割安にできる短期のスタディツアーの話は、魅力的なものに思えました。
冒頭の大阪出張に話を戻しますと、普段、新幹線を使った長時間の出張などすることのない私は、車内で読書の時間が取れることを楽しみにしていたのですが、結局本を手元に置きながら、読むことはありませんでした。それは、本を読むより車窓からの景色を眺めることに夢中になってしまったからです。
普段見ることのない景色が目の前に広がります。山が見え、川を渡り、地方都市があり、遠くに集落が見えます。私は目に飛び込んでくる風景からその地に住む人の生活を想像することに熱中しました。時折、列車がトンネルを通過し、その間目を瞑ったままウトウトしてしまうこともあり、車内で夢うつつの心地よい時間を過ごしました。
ウトウトし、ふと目を開けたときに飛び込んできたのは、遠くに見える黄金色の稲穂でした。ボーッとした頭の私は、目に映った情報を正確に捉えられませんでした。稲穂? 黄金色?? 季節が秋でないことをボンヤリとした中で認識し、その時にようやく「あれは稲ではなくて麦だ」と思いつくことができました。「麦秋」という言葉を知りながら、これまで私は実際にその情景を目にしたことがありませんでした。
言葉で知っていても実感を伴っていない認知。私自身の経験・認知の世界の狭さを思い知りました。
リニア中央新幹線が全線開業すれば、東京大阪間が約1時間で行き来できるようになるそうです。交通機関の発達は、遠くの世界をさらに近いものにします。IT技術の発達も、遠い世界をさらに身近なものにして行きます。しかし、それで世界が分かったようなつもりでいると、自分の「肌で感じられる」世界がどれほど狭いものであるかということに気づかないで終わってしまいます。
世界は広いようで狭い。しかし知っているようで気づかないことばかり。頭でわかったつもりにならずに、五感を使って世界の人、物、事象と関わり合って行こうと改めて思った一週間でした。